「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」感想
2012年6月2日:日本公開
監督:若松孝二
<不満点>
東大全共闘のシーンのショボさや、史実との相違点(豊穣の海執筆タイミングも)
やたらサウナで談義(笑)
予算的に仕方ないんだろうけど、11.25演説の迫力不足
まぁ、予算的に仕方ないのかなーって所が目立った
<良かった点>
俳優の演技は概ね、上手かったんだと思う。話の流れを知っていれば楽しめる。
(楽しむというのが適切か疑問だけど。。)
主役の新氏と満島氏が健闘していた。
予算なのか、脚本・演出がなぁ。。。
総じて、「決起までに試行錯誤、取捨選択に苦悩する三島由紀夫」が
ピックアップポイントなのかな。
そういう、史実で見えない部分の描写は面白かった。楯の会結成の流れとか。
ただ、まあ、実際の東大全共闘との討論(自決1年前)や
自決一週間前の最後の対談(相手:古林尚氏・・・バタイユを踏まえた左翼派論客)
での実際の三島由紀夫氏の「堂々振り」「三島節」が逆に、如何に説得力と表現力のある本物の作家、というより論客面での「凄み」を醸し出しているか、
それが改めて浮き彫りになるような形で落ち着いたかな。。
やっぱ本物、あらためてすげー。。。という感想(笑)
で、ちゃんとこのお方「死(死生観とも言って良いのか)、エロティシズム」はバタイユに影響受けたこと、
「天皇の神格化(絶対者化)願望・思想は個人的感情である」
「論理じゃなく『意地』で(右翼思想の内の天皇神格化の部分)をやってる」
「日本人であること、それがフィクションであっても、その日本人的美意識を大事にしたい」
ことも堂々と公にて述べている(全共闘討論や最後の対談にて)。
右、左なんて、共産肯定・否定なんてほとんど瑣末な問題として認識されてる。
そして、50年後の現代を見事に言い当てている。
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」(自決の4カ月前に産経新聞に寄稿)
楯の会運動(石原慎太郎氏のように政治に関知せず、本人曰く「変な思想運動」ともご自身で謙遜・自虐的表現で控えている)
(※石原慎太郎氏の作品「完全な遊戯」についてもきちんと「新しい小説」として賞賛してる。)
と
芸術行動(作家・執筆活動)
は「完全に思考を分離してやっている」とも明言している。(政治に関わったら自身の思想が崩れてしまうとも)
エロティシズムを突き詰めた極点に絶対者に「裏側から」初めて辿り着ける。
だから「絶対者」が居ないとエロティシズムには到達できない。
個人として、思想家として、作家としても「天皇の絶対者化(もしくは天皇以外のそれに変わる何か)」にこだわっている理由がとても良く解る。
右とか左とかなんかじゃない。もっと高尚に細分化された個人の信念と覚悟だ。
正直かつ、堂々たる振る舞い。
人物もこの映画にも賛否はあれど、
僕は三島由紀夫さんとその映画化に携わった全ての方々に
三島氏の言葉を借りて締めくくりたい。
「その『熱情』、これだけは信じる。信じたい。」
そしてこれもまた、現代の日本そして人類への
「『問題提起』に過ぎない。」
あらためて、安らかに。