映画「JOKER」本日、観てきました。

全然ブログ更新してなかった 9月の振り返りはこの次やるとして

 

とりあえず、

映画「JOKER」本日、観てきました。

 

 

まず、改めて感じたのは、当然の話と思うだろうが「宣伝力」。

 

何故なら、観たきっかけは「東洋経済online」のジョーカーについての記事が

スマホのトップニュース群にあったから。

URL:https://toyokeizai.net/articles/-/308721

 

だって、そこに記事出てなければ、多分映画館に足運んでないから。

(他にもYouTubeなど様々な媒体で広告は打っていただろう)

 

記事のタイトルも絶妙にフックが効いてる。

<「ジョーカー俳優」実は最初出演を渋ったワケ>

 

まあ元々、バットマン好きだし実写版新旧も観てるし、

不謹慎だがまさに『ジョーカーに憑り殺された』亡きヒース・レジャー

演じたジョーカー(「ダークナイト」版ジョーカー)はもはやレジェンドであるが、僕もご多聞にもれず大好きなので、当然上記の流れ以外の形で映画館へ足を運ぶ可能性は、潜在ニーズとして0ではなかった。

 

だが、記事を見た当日に映画館の席予約を翌日の朝イチ上映に入れて(しかも人混みが激しく、出来るだけ行きたくない渋谷の映画館)、

一人で映画を観に行ったこと自体初めてだったので、ここまで僕を突き動かしたのは

やはり、宣伝力=「東洋経済online」の記事の内容だった。

(以下引用)

ーーーーーー

 

「特定の人(配役の具体的な俳優)を思い浮かべずに書けるほど、

僕はライター(脚本家)として優秀じゃない。

ホアキン・フェニックス以外、配役の第2候補は、いなかった。

もしホアキンに断られたらどうするかは、考えなかった。」(トッド監督談)

 

相当に迷い、何度かトッド・フィリップス監督とミーティングを持った末に

役を引き受けた。

「自分にできるかわからなかったし、このキャラクターをどう理解していいのか

わからなかった」(ジョーカー役:ホアキン談)

 

ホアキンを選んだのは、恐れを知らない役者だからだ。彼は、中途半端なところで止まったりしない。そんな人に徹底的にやらせたら、どうなるのか。僕はそれを見てみたかった」(監督談)

 

ーーーーー

 

・上の監督・主演俳優の「まずジョーカーという存在について、

どうアプローチしよう」という真剣なやりとり風の出だしから始まる、書き出し

 

・「あの独特の笑い」に苦労した、という気になるフレーズ

 

・「ホアキンには役者に自由を与える緩いアプローチがベスト」という監督への、

<それで完成形はどうなったんだ!?>と興味を抱かせるインタビュー

 

・「ジョーカーダンス誕生秘話」というこれまたフックの効いた

 サブ見出しから始まり、

(以下引用)

 ーーー

 「バスルームで彼がダンスをするシーンは、脚本になかったものだ。~(中略)~アーサーは社会からのけものにされている、要領の悪い人だけれども、音楽への愛に満ちた人だとよく言った。そういうところから来ているんだよ」

 

「基本的には、多くの動きは事前に決められていたのではなく、現場で生まれている」と、フェニックスは語る。

 

彼がピエロのメイクを自分でやろうと試みたこともあった。~(中略)~

自分でメイクの練習をしていたとき、顔を白塗りだけした段階で撮った

写真があったんだが、僕はそこに何か不気味で、怖いものを感じていたんだ。

それが、最後のほうに出てくる、彼のアパートでの衝撃的シーンだ。

ーーー

 

 と、ズルイくらいに<ジョーカーに対しての役作りへのトライ、演出、何よりも真摯な姿勢>が語られ、観たい気にさせる、興味をそそらせる

「ライター力(文章力・インタビュー力)」。

 

 

ここまでで、

「宣伝力」「ライター力」「監督、俳優の真摯な姿勢」

すべてにおいてプロであるとビシビシ感じ、

しかも「ジョーカー好き」という潜在ニーズのある人間なら

まあ、、動かされますわ。

 

そしてトドメは、その記事の下にリンクされていたオススメ記事。

これまた「東洋経済online」記事の

<「ジョーカー」大ヒットまでの苦難多き道のり>

URL:https://toyokeizai.net/articles/-/307611

 

そこで、劇中の「ピエロの化粧をしながらアイシャドウとともに

流れ落ちるアーサー(ジョーカー)の涙の写真」とともに

「低予算映画で映画会社(ワーナー)からは狂ったアイデア扱い」という

判官贔屓心理現象待った無しの苦労話。

制作費約6000万ドル・・・って高いやんけ!!と思ったけど

ヒーロー系比較映画を出されると(同記事より抜粋)

↓↓↓

 

<製作予算>

ジャスティス・リーグ3億ドル

『マン・オブ・スティール』22500万ドル

ワンダーウーマン15000万ドル弱(女性が主役ということで“高リスク”とされたらしくこれでも低い)

これらはすべて子供も見られる[PG-13指定]で、ジョーカーだけ[R-18指定]

しかも世界第2の映画市場・中国では検閲に引っ掛り非上映。

 

<北米オープニング成績>

ジャスティス・リーグ』が9300万ドル

『マン・オブ・スティール』1億ドル強

ワンダーウーマン1億ドル強

『ジョーカー』9600万ドル

 

と、コスパ最強だった(少なくとも北米圏では)報告+アメコミ嫌いの有名監督から

絶賛&バックアップを受けたなんて書かれたら、そらもう諦めて観るわ(笑)

他でもなんかこの流れで洗脳とか受けたら完全堕ちますわ(笑)

 

 

で、おまけにYouTubeの「映画 JOKER PV」の哀愁漂う

ヒューマンドラマ感今までのどの「ジョーカー像」とも違う、

「ジョーカーがまだジョーカーでなかった頃の話と、ジョーカー

【なってしまった】話」であるというのが、淡々と伝わってくる。

クリストファー・ノーラン監督ともまた違う、人生・人間にフォーカスした映画。

コメント欄もまた心くすぐることばかり書いてあり、

いろんな人にこれだけの刺激を与える映画なのか、というのも決め手になった。

 

 

まあ、そんなこんなで、朝早くから渋谷に一人で観に行きましたよ(笑)

 

 

ーーーーーー

<感想>

 

注意:気をつけるが、多少のネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

観てよかったか、と問われたら「観てよかった、観る価値はあったと思う」

と答えるかな。

 

思ってたほどの、刺激や衝撃というのは無かった。

(それはフライングでコメント欄見ちゃったせいもあると思うが。)

 

リアルだったかと問われれば、主役の名演は文句なしで、

それがリアルさを定着させてる。

ゴッサムシティ設定だから多少、世界背景はシンプルだけど。)

 

ただ、僕が感情移入をジョーカーに「思うほど」そこまでできなかったのが

何故か、と考えた時、

 

 

アーサー(ジョーカーの本名)が、本当にバカがつく位、真面目な人間だったから。

 

仕事に対しても、現状に対しても、自分の障害に対しても、そして夢に対しても。

 

 

僕は、裏切られる前に裏切る、貧乏くじを引かされるのは沢山だ、

と思って生きてる。

(結局引くことも、計略より義理を取って金銭的、立場的に損をすることはあるが)

 

悲劇的な世の中・自分を喜劇に変えるにはどうすればいいか、その先で

人生に納得をするにはどうすればいいのか、それをアーサーのような状況になる前に

先に見出した(気がしている)のと、今はそれに縋り目的を持って生きることが出来ている。

僕はアーサーより環境には恵まれていたと思うし、アーサーよりもズルい人間だと思う。だから、彼のような人物に対し安易に感情移入することは「無礼」であると心のどこかで思っていたのだろう。

 

ーーー

気休め程度に性格診断をした時、僕の自己分析としては

「理想主義者気質 INFP 人生の意味を追い求める者」

 

対して、アーサーは

「保護者気質 ISTJ 一人コツコツ努力する人」か

「理想主義者気質 INFJ 信念を持った理想家」

または、どちらの因子も持っているか。

(ただし、物語序盤から疲弊していたのと彼の障害を僕が理解できないため、

なんともただ、子供を笑わせたり、真面目に仕事に取り組んだり、

母親の介護に献身的だったり、ブルースに対しても当初敵意なく

接していたシーンなどから推察。)

ーーー

 

アーサーにも、目的意識があった。コメディアンになりたかった。

これは無作為に笑ってしまう障害への劣等感から生まれた夢なのだと、

想像している。

上品な、誰も傷つかない、皮肉も効かせた、自分のような人間たちでも

笑えるようなネタで人を笑わせたい。

そしてその夢を叶え、母をもっと楽させたかった。

 

彼をジョーカーへと導く工程は、

122分という尺の中で、コンパクトにまとめられているが

物理的にトリガーになったのはやはり、正当防衛かつ女性暴行を救った行為だが、

結果としてウェインの部下社員達(エリート層)を殺害してしまったことか。

 

ゴッサムの法的・権力関係的にこの後、アーサーが正当防衛で保釈されるとは

とても思えないし、この時点で母が盲信していたウェインの部下を殺してしまった、投獄されれば母は誰が介護する?

とアーサーとしても思考の袋小路に追い込まれたのは確か。

 

ただ、ここで虐げられていた者が、とっさに反撃し暴行犯3人を射殺

(最後の1人は口封じ)したのは、正義をそこに見た+いじめられっ子が

いじめっ子に完膚なきまでに仕返し・復讐を(結果的に)遂げた上での

カタルシスが、あのトイレでのダンスだったのだと思う。

 

その後、世の中の特に貧困層

「エリートに復讐した殺人ピエロ」を英雄視し、

その象徴としての存在を渇望していく動きと、

拍車をかける悲惨な現実(妄想の彼女、信頼していた母への失望、憧れのコメディアンに大衆の面前で夢を踏みにじられる)が、

アーサーを「ジョーカーという象徴」にまで至らしめることになるのだが…。

 

 

 

 

結局何故、

思ってたほどの刺激や衝撃というのは無かったのか、というのはおそらく

もちろんこれはフィクションであると前置きした上で

 

大なり小なり、僕にも多分に同調できる過去・現在があるからであり、

決してフィクションの中での出来事であるとは到底思えない、

現実的な「壊れた未来」の可能性であるということ。

 

だからこそ、なんというか全てが「当然だよな…」で

122分終わってしまったから、刺激や衝撃が無かったんだと思う。

日常との差異を果たしてどこでつければいいのか、わからないほどに。

 

 

 

そしてあの「本当の笑み」の後、アーサーという人格はだんだん「死」に至り、

「悲劇は喜劇さ」というジョーカーという人格がこの先、

本格的なヴィラン(ヒーローの敵役)になるのか、これはあくまで精神病院での

妄想だったのさ、というこの映画で完結してもよい解釈も用意して

エンディングを迎える。

 

最後にジョーカーらしいコミカルさを見せるも、そこには今までのジョーカーにはない、一人の孤独な真面目に生きてきた人間の、哀愁を感じずにはいられない。

 

 

そして、アーサーを讃えるとすれば、悲劇的な人生から逃げるように

「自殺」せず、様々なネガティブな感情が彼を壊しながらも生かし、

彼なりに全力で抗った結果が、これであったということだ。

 

最後に漫画「ブラック・ラグーン」からの引用だが、

 

『誰かがほんの少し優しければあの子たちは---学校に通い、友達を作って、幸せに暮らしていただろう。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから---この話はここでお終いなんだ。』

 

 

 

 ※蛇足:映画「スリング・ブレイド」との対比も考えると興味深いね。

 

さて、「JOKER」をテーマにした曲なんかも作りたいなと思いつつも、

絶賛新曲作成中なので(今回は動画が地獄)、また出来たら、ぜひ聴いてくれると

嬉しいです!!

 

今後は、マジック:ザ・ギャザリングトレーディングカードゲーム)や

漫画・ゲーム会などのイベントを予定してます。

 

ブログもマメに更新しないとね(^_^;)

ではまた。